だれかを変えたいとき
この間、母が、私に「ヨガを教えて欲しい」と言ったんですね。
それは私にとってありえなかったことで、
本当にびっくりしました。
なぜそこまで驚くかというと
母はヨガにあまりいいイメージがなく、
私が上京し、海外へライセンスを取りにいき、生業としてヨガの道をいくことに猛反対でした。
昔から心配性で、か弱い。いろんな意味で。
物心ついたころから、「母を守らなきゃ」という責任感ばかり大きくなっていたと思います。
くよくよ悩む母親に、どうにか変わってほしくてあれこれアドバイスしたり、
気分転換にどこか連れてったり、
病院に付き添いしたり。
「親孝行は気づいてからでは遅い」と、早くから思っていた私はいろんなことを母にしてきました。
そんな私が親元を離れる決断をして、
東京でも電話で相談に乗ったりしていたけれど。
どんなに母を変えようとしても変わらなかった。
そして春に実家に戻ってきてからというもの
その想いも全部捨ててみました。私が。
諦めではなくて、
私が母の人生どうにかしようということ自体、
エゴだったのかな、って。
人は変えられない。
私が変わるしか、ない。
だから、相談は聞くけど、聞くだけ。何も言わない。
ヨガも、無理に認めてもらえなくていい。
インド行きも、やっぱり猛反対だったけれど、いい。
考えかた、捉え方も、
本人が心から変われるスタンスが整っていないのに
外部でああだこうだ説得して変わるはずない。
ただ、私が安定していて、幸せにやっていたら、
伝染すると信じていた。
そう思い、ある程度の距離を置き
心を鬼にして、苦しんでる母をどうにか救ってあげようと動くことも辞めて
私は私の生活に没頭してみました。
そこから初めの母の変化でびっくりしたのは
お白湯を沸騰させる際によく吹きこぼしていたものを
前は口うるさく「またこぼしてるー!」と言われていたけれど
「あら、掃除のしがいがあるわー」なんて前向きすぎる発言をしたんです。
(気づいたら自分でやりますけどね笑)
もう、本当にびっくりしました。
そこから、私の母への呪縛を解いていくように、
お互いが精神的に自立した生活を送っていたら
先日ついにヨガを教えて欲しいと発したんです。
私が、母の幸せに執着していて、
どうにかしてあげたいと思っていたのもの。
どうにか考え方を変えて欲しいと思っていたもの。
自分が勝手に握りしめていたんだなあと感じています。
今回のケースに限らず、
誰かをどうにかしようなんて、
自分のエゴだと痛感しています。
根底には、
母なら、大丈夫って、信じてますけどね。
きっと自分で、気づいてくれる。
まだまだ母がどこまで変わるかわからないけれど、楽しみです。
自称、体感年齢80歳レベルの母。(笑)
初めてのアーサナとプラーナヤマ!!
またこちらでレポートします(^^)
とほほ。。
フライヤー作成したのですが……
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